比叡山(ひえいざん)

比叡山(ひえいざん)とは、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。大比叡の一等三角点は大津市に所在する。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。

京都の鬼門にあたる北東に位置することもあり、比叡山は王城鎮護の山とされた。古事記では比叡山は日枝山(ひえのやま)と表記され、大山咋神が近江国の日枝山に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。延暦寺が日枝山に開かれて以降、大山咋神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされ、大山咋神に対する山王信仰が広まった。また比叡山山頂の諸堂や山麓の日吉大社などを参拝して歩く回峰行も行われ信仰の山である。

登山も盛んで、代表的な登山口としては京都市左京区修学院から登る雲母(きらら)坂、滋賀県側の門前町・坂本から無動寺谷を通って登る登山道などがある。雲母坂は古くから京都と延暦寺を往復する僧侶・僧兵や朝廷の勅使が通った道であり、現在も登山客は多い。山内には大津から京都大原方面へ抜ける東海自然歩道が通っている。

有料道路やケーブルカー、ロープウェイで山頂まで行けるため、休日には観光客が多く訪れる。かつては比叡山頂遊園地と比叡山人工スキー場があったが2002年までにすべて閉鎖され、スキー場の跡地はコスモス園、山頂遊園地の跡地は美術館「ガーデンミュージアム比叡」になっている。また、京都側のふもとの八瀬にはスポーツバレー京都(森のゆうえんち)もあったが、こちらも2001年11月30日に閉鎖され、跡地には会員制リゾートホテルが建った。

石見銀山(島根県)

石見銀山(いわみぎんざん)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけての日本最大の銀山。鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国指定の史跡に登録された。2007年(平成19年)に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された。同年、日本の地質百選に選定された。

石見銀山の発見について『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩のお告げにより銀を発見したという伝説について記しており、この頃からある程度の採掘がなされていたものと考えられているが、今日、石見銀山を本格的に開発したのは博多の商人・神谷寿貞(姓については神屋、名については寿禎・寿亭とも表記される)であるとされている[1]。海上から山が光るのを見た神谷は領主大内義興の支援と出雲国田儀村の銅山主・三島清右衛門の協力を得て1526年(大永6年)3月、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出した。義興の死後、大内義隆が九州経営に気を取られている間、1530年(享禄3年)に地方領主・小笠原長隆が銀山を奪い、3年後に大内氏が奪回した。大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。1533年(天文2年)8月、神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き中国渡来の銀精錬技術である灰吹法に日本で初めて成功した。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され取引された。

町並み

五百羅漢

石窟五百羅漢は、銀山で働いて亡くなった人々や祖先を供養するためにと月海浄印が発願し、25年もの歳月をかけて1766年に完成しました。羅漢寺はこの五百羅漢を護るために建立されました。
 羅漢寺から道をはさんで向かい側、銀山川に架かる石の反り橋を渡ると、岩山に3つの石窟が掘られています。この左右の石窟に、合計501体の羅漢像が安置されています。

山道

銀山までは山道を通って行きます。

cafe 住留

石見銀山で食事をとるならここ。

鳥取市(鳥取県)

鳥取市(とっとりし)は、中国地方の北東部、鳥取県東部に位置する市。同県の県庁所在地。

山陰地方最大の都市であり、山陰唯一の特例市。鳥取都市圏を形成する。

江戸時代は池田氏の治める鳥取藩32万5千石の城下町として栄えた。 その後鳥取大震災、鳥取大火等の困難を乗り越え現在に至る。

本市は世界最大級の液晶工場を擁するなど、山陰随一・中国地方有数の工業都市でもある一方で、鳥取砂丘や白兎海岸などの豊かな自然に恵まれた都市である。

鳥取砂丘

鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。日本三大砂丘のひとつである。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されている南北2.4km、東西16kmに広がる、日本最大の砂丘である(内陸にある砂丘を含めると猿ヶ森砂丘が最大になる)。

1955年に国の天然記念物に指定された。2007年には日本の地質百選に選定された。

白兎海岸

鳥取空港

鳥取空港(とっとりくうこう Tottori Airport)は、鳥取県鳥取市にある第三種空港である。日本海、千代川、湖山池にかこまれた砂丘地帯にある。

風力発電

鳥取県では、いたるところに風力発電機が設置されている。

大井川沿線・寸又峡・長島ダム・井川ダム(静岡県)

大井川(静岡県)

南アルプス南部、静岡県・長野県・山梨県の県境付近にある間ノ岳に源を発し、赤石山脈・白根山脈の間を南下。静岡県志太郡大井川町と榛原郡吉田町の境界から駿河湾に注ぐ。
大井川に並行して、大井川鐵道の大井川本線・井川線が島田市金谷から静岡市葵区井川まで走っている。

寸又峡(静岡県)

寸又峡(すまたきょう)は静岡県中部、川根本町にある大井川支流、寸又川の峡谷。全長16kmで、比高は100mに達する。赤石山脈の隆起と寸又川の激しい下刻作用によって、複雑に入り組んだ流れが特色。穿入蛇行、貫流丘陵などは独特の地形。今でも浸食が激しく、寸又峡温泉のある大間集落付近には、元々河床があったと見られる跡がある。上流地域は手付かずの自然が多く残り、原生自然林保存地域にも指定されている。また、以前から林業が盛んであったため、その名残として飛龍橋や散策路が残っており、観光遊歩道として再生。
新緑や紅葉の季節は格別に美しく、また夏場の観光客も多い。また大間ダムに架かっている夢の吊り橋は有名な観光名所で、夢に出そうな幻想的な橋という意味の他に、渡るのが怖くて夢に見そうな橋という意味合いもある。

寸又峡・夢の吊り橋 (2008/05)
寸又峡・大間ダム (2008/05)

長島ダム(静岡県)

長島ダム(ながしまダム)は静岡県榛原郡川根本町(旧・本川根町)、一級水系・大井川本川上流部に建設されたダムである。
長島ダムは型式が重力式コンクリートダムで、堤高は当初112.0mを計画していたが後に修正されて109.0mとなった。特定多目的ダム法に基づき国土交通大臣が直轄管理を行う特定多目的ダムであり、大井川水系唯一の多目的ダムである。目的は洪水調節、不特定利水、灌漑、上水道供給であり、水力発電目的は有しない。水力発電を行わないダムとしても大井川本川では唯一となる。計画から29年後の2001年(平成13年)に完成しており、日本の長期化ダム事業の一つでもある。

井川ダム(静岡県)

井川ダム(いかわ-)は、静岡県静岡市葵区井川(ダム竣工当時は井川村)地先、一級水系 大井川本川上流部に建設されたダムである。
ダム建設に伴って、井川村の主要集落が水没する事となった。当時井川村は550戸の戸数があったが、ダム建設によってその3分の1以上に及ぶ193 戸の住居が水没する事となった。主要集落が水没する事は井川村の死活問題であり、住民は事業者の中部電力や河川管理者である静岡県に対し、以下の「補償三原則」に基づく補償の履行を迫った。
1)長年に亘って交通の障壁となっている大日道路を、ダム完成までに隧道(トンネル)化して交通の簡便性を図ること。
2)村づくりを良くし、文化水準を高めること。
3)納得の行く個人補償を完遂し、現在を上回る民生の安定を図ること。
この井川村住民の要請は、金銭補償ではなくて代替地造成による新しい井川村の創造という補償を求めたものであるが、この要望は当時の静岡県知事・斎藤寿夫によって受け入れられ、静岡県を通して中部電力に受諾された。これ以降新しい井川村の村づくりの為の諸事業が行われた。
インフラ整備としては大井川鐵道井川線の旅客利用や井川大橋の建設、町内の道路整備に加え、住民の悲願であった幹線道路整備として大日道路の代わりに井川林道の整備が行われた。富士見峠を越える新しい道路整備を行った事により、静岡市内までの所要時間が2時間以内に大幅に改善された。現在は静岡県道60号南アルプス公園線として国道362号と接続しており、静岡市内と井川・畑薙・南アルプスを結ぶメインルートとなっている。この他宅地造成に加え、公共施設としては井川小学校・中学校の移転新築とプールの新設や駐在所の新設、簡易水道整備、祭祀関連では神社の合祀移転や火葬場・共同墓地の新設、そして農地の造成を行った。農地造成により、以前は不毛の地であったこの地域でも稲作が行われるようになった。
こうした井川ダムの補償は、後のダム建設に伴う補償事業のモデルとなり、1973年(昭和48年)に成立したダムによる水没補償対策の基本法・水源地域対策特別措置法の源流ともなっている。

井川ダム (2008/05)

夙川公園(兵庫県)

夙川公園(しゅくがわこうえん)は、兵庫県西宮市にある公園である。夙川河川敷緑地とも呼ばれる。

夙川公園は西宮市の夙川の河川敷沿い約4km、20.8haにわたって整備された阪神間有数の都市公園である。

1937年(昭和12年)に当時の金額で34万円余りで、約5ヶ月かけて作り5月17日午前10時に上流の阪急甲陽線苦楽園口駅東側で竣工式が盛大に行われた。その後、1949年(昭和24年)、1,000本の桜の若木が植樹が行われた。その桜の管理は、桜博士と呼ばれる笹部新太郎氏が直接指導をした。1990年(平成2年)に夙川公園の桜は日本さくらの会に「日本さくら名所100選」として認定された。

夙川公園は、南は香枦園浜の海岸部から北は銀水橋まで広がる約4kmのとても長い公園である。

そのうち現在は臨港線~北夙川橋辺りまでの約2.7Kmに約1,700本もの桜の木が植えられている。特に阪急夙川駅から苦楽園口駅にかけての部分に、花見の時期には非常にたくさんの露店が並ぶ。地面にシートを敷いてお弁当を食べたり、桜を見て楽しむことができ、一番人の多い区間である(バーベキューなど火気の使用は禁止)。阪神香櫨園駅以南はさほど人が多くなく、落ち着いて桜を見るのに適している。

公園には駐車場は無く、公園周辺は駐車禁止区域であるので、駅付近に駐車場がある。4月初旬に西宮さくら祭りが開催され、桜めぐり・ウォークラリーなどのイベントが行われる。

桜の時期以外も、四季の景観が優れていると評されている。

奈良市内(奈良県)

奈良市(ならし)は、奈良県の北部に位置する都市で、同県の県庁所在地である。旧添上郡。国から中核市に指定されている。

市街地が広がる一帯は平坦な地形で、この均したような地形が、「奈良」の都市名の由来となったのではないかとする説が有力である。なお『日本書紀』によれば、官軍が草木を踏みならしたことから付近の山が那羅山と名付けられ、「なら」という地名が生まれたとされる。

現在の漢字表記は「奈良」だが、古文書等の中では、「那羅」「寧楽」「平城」(読み方はいずれも「なら」と思われる)とも表記されている。

奈良市観光協会
奈良市観光協会から奈良公園を臨む

奈良公園(奈良県)

Nara Park

奈良公園(ならこうえん)は、奈良県奈良市の若草山麓に広がる都市公園。国の名勝。

太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理している。都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園 奈良公園」といい、総面積は502ha。

周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ha(東西約4km、南北約2km)に及ぶ。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを奈良公園と呼ぶことが多い。

公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。奈良の大仏や鹿は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、修学旅行生の姿も多く見られる。

東大寺修二会やなら燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多い。

塀・柵・門などがなく入園料も不要なのでどこからでも、いつでも(365日・24時間)散策することができる(鹿にはご注意を)。なお、旧「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づく名称は「名勝奈良公園」である。

Nara Park (Nara Koen) is a large, pleasant park in central Nara, established in 1880. It is the location of many of Nara’s main attractions including Todaiji, Kasuga Taisha, Kofukuji and the Nara National Museum, a museum specialzed in Buddhist art.

The park is home to hundreds of freely roaming deer. Considered messengers of the gods in Shinto, Nara’s deer have become a symbol of the city and have even been designated a National Treasure.

緑ケ丘公園(兵庫県)

伊丹市内で最も古い公園。

マツやサクラの古木があり、落ちついた静かなたたずまいをみせています。広さ7.8ヘクタール。下池のほとりには日本建築の粋を集めて建てられた鴻臚館(こうろかん)と伊丹市の友好都市、中国・佛山市から贈られたあずまや、亭(ちん)があります。上池に面しては約50種400本のウメが植えられた梅林があり、毎年2月には「観梅と野点(のだて)の会」が開かれます。

武田尾温泉(兵庫県)

宝塚より電車で10分、トンネルを抜けると、そこは渓流沿いの温泉地。宿数は4軒。
1641年、豊臣方の落武者・武田尾直蔵が発見したと言われ、近年では小説「櫻守」の舞台にもなった。
大阪よりJR福知山線でわずか40分の近場ながら、武庫川の渓流と豊かな自然に出会える「秘湯」。紅葉も素晴らしい。

毛馬桜之宮公園(大阪府)

桜之宮公園(さくらのみやこうえん)とは、大阪市都島区・北区にある、大川沿岸の公園である。毎年、桜の季節には桜の通り抜けがあり大勢の人でにぎわう。 なお、都島橋より北側は毛馬桜之宮公園である。