関西国際空港(かんさいこくさいくうこう)

関西国際空港(かんさいこくさいくうこう Kansai International Airport)は大阪市の南西38 km、大阪府南部、大阪湾内泉州沖5 kmの人工島に作られた24時間営業の第一種空港で、なおかつ航空法上の混雑空港である。日本で2番目の本格的な海上空港でもある。通称は関空(かんくう)、関西空港、あるいは、泉州空港(せんしゅうくうこう)。関西三空港のひとつであり、関西の国際拠点空港として機能している。二本のオープンパラレルの並行滑走路を有し、うち一本は日本最長の4000 m滑走路である。
空港所在地名は泉佐野市泉州空港北・泉南郡田尻町泉州空港中・泉南市泉州空港南。泉州沖5 kmの海上の人工島に浮かぶ国際空港である。当初は「近畿中央国際空港」という名称案もあったが、「関西国際空港」という名称に決定したあと、一時期、関西では「関西新空港」や「泉州空港」とも呼ばれた(地元の泉佐野市や貝塚市などでは「泉州空港」の名称を定着させるため、行政主導で「泉州空港」の使用を呼びかけていた)。現在、関西では略称の「関空」と呼ばれることが多く、空港関係者や旅行業界関係者は、関空の空港コード「KIX」から「キックス」と呼ぶ人もいる。1994年9月4日に開港。日本の空港で初めて旅客と航空貨物の24時間運用を開始した(航空貨物のみの24時間運用は新千歳空港が最初)。
レンゾ・ピアノが設計した空港ターミナルビルは、翼を模した緩やかな円弧状のカーブを描く独特の形となっている。20世紀を代表する事業に贈られる「Monuments of Millennium」の「空港の設計・開発」部門に選定されたほか、空港の設備やサービスについて利用者の投票によって決める「AIRPORT of the YEAR 2006」で世界第4位に選ばれるなど、建造物としての空港やその機能について、海外から非常に高い評価を受けている。
空港島と直結した対岸には、空港関連施設の広大な用地りんくうタウンが広がっている。当初は進出する企業が少なかったが、近年、企業負担を軽減し、企業進出を促した結果、改善されつつある。
空港の設置・運営は、国・地方自治体・民間の出資で設立された政府指定特殊会社「関西国際空港株式会社(Kansai International Airport Co., Ltd. 英略称 KIAC)」が行う世界初の「民営の国際空港」である。
国際線出発の際に利用客にかかる空港施設使用料は大人2,650円、子供1,330円である。

戸隠神社(とがくしじんじゃ)

戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社である。
一説には現在の奥社の創建が孝元天皇五年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば学問なる僧が奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
その後平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られ、修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。山麓の善光寺とも関連を強め、参詣者は一度に両寺を共に参詣することが多かった。
戦国時代は武田信玄と上杉謙信との争乱に巻き込まれ、両軍によって絶えず危機に晒されたため、衆徒らが約30年間にわたり水内郡小川の筏が峰(現在の長野県上水内郡小川村)に移り住むなど苦境の時期であった。しかし、江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。
明治時代に入ると明治政府によって神仏分離令や修験宗廃止令が次々と出され、その結果廃仏毀釈運動が起きたため、戸隠山顕光寺は寺を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。(2008/11 wikipediaより)

 戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東比叡寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。(2008/11 戸隠神社HPより)

宝光社

七尾湾(ななおわん)

狭義には能登半島の石川県鳳珠郡穴水町恵比須崎と七尾市能登島町勝尾崎を結ぶ線、七尾市能登島町勝尾崎と七尾市観音崎を結ぶ線に囲まれた海域。日本海に通じる。湾内は能登島を軸に北湾・西湾・南湾に別れており、南湾には七尾港、西湾には和倉温泉がある。

善光寺(ぜんこうじ)

善光寺(ぜんこうじ)は長野県長野市大字長野に位置する無宗派の仏教寺院である。

山号は定額山(じょうがくさん)。古えより、四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とする。

天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている(日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている)。天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されている。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めている。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えている。現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっている。

本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、絶対の秘仏であり、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられ安置されている。 瑠璃壇の前には金色の幕がかかっている。朝事とよばれる朝の勤行や、正午に行なわれる法要などの限られた時間のみ幕が上がり、金色に彩られた瑠璃壇の中を部分的に拝むことができる。

善光寺本堂は1953年(昭和28年)3月、国宝に指定された。また、山門(三門)と経堂は重要文化財である。本堂では床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」が体験できる(有料)。

長野は善光寺の門前町として発達した都市なので、古くから長野盆地を「善光寺平」と称していた。また、日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るといわれている。(2008/11記)

まずは参道から

参道入口
藤屋
八幡屋磯五郎
参道入口
本誓殿

大本願は、善光寺の創建(西暦642年)当初からその歴史を共にしてきた尼僧寺院で、代々の大本願住職、尼公上人が善光寺上人として、その伝統を継承されてきました。
現在は浄土宗の大本山で、浄土宗の宗祖法然上人と二祖聖光上人とが善光寺如来の夢告により、法縁を結ばれたり、浄土宗西山派の祖証空上人、三祖良忠上人、その他数多くの浄土宗系の高僧たちにより信濃に念仏の教えが広められました。また、孫弟子、諏訪の蓮仏が北條時頼の帰依を受けて善光寺への信仰が広められ、善光寺信仰が大衆の心に大きく生かされました。
江戸時代、慶長6年(1601)徳川家康によって大本願を歴代住職とし、大勧進は経理面を担当するように制度化されました。

仁王門
三門

仁王門を過ぎて北の本堂へ向かうと、これが善光寺の本堂かと思うような大きな屋根の建築物が見えてきます。これが三門で、楼門式の屋根は入母屋造りで桧皮葺(平成の改修で栩葺になりました)です。高さは20m程あるそうで、6年の歳月をかけ寛延3年(1750)に完成しました。平成には大修理が行われました。(長野県の歴史 国宝・重要文化財(建物)より)

三門
本堂
本堂
本堂
三門を本堂より眺める
本坊大勧進

 勧進とは人々に仏法を説き作善をなすように勧誘策進することであり、この名を寺名にした大勧進は、開山、本田善光公以来、代々善光寺如来さまにお奉えし、民衆の教化と寺院の維持管理にあたってまいりました。弘仁8年伝教大師が信濃路巡化のみぎり、善光寺に参籠され、爾来、天台の宗風により今日に至っております。大勧進は天台宗大本山で善光寺25ヶ院の本坊として、住職は善光寺の住職も兼ねております。(本坊大勧進より)

釈迦堂

仲見世道りの中間点くらいに位置する、旧如来堂地蔵尊の反対側 (善光寺本堂を前に東側) に細い通路の先に見える。重要文化財である ”銅造釈迦涅槃像 ” が安置されている。全長 1.66メートル、重さ 約487キログラムもあり、鎌倉時代の末期近居頃の物といわれている。

淵之坊

善光寺の境内には、善光寺本堂(国宝)や諸堂のほか、39件の宿坊がございます。宿坊は善光寺さまをお護りし、お仕えする僧侶の自坊でもあり、善光寺ご参拝の皆さまのお世話をいたしております。淵之坊は、39ヶ寺の宿坊のひとつ。善光寺詣りはもちろん精進料理や仏事・お集まりのことでしたら、どんなことでも淵之坊へお気軽にご相談ください。(淵之坊HPより)

長野風月堂
八幡屋磯五郎