八坂神社 (鹿児島県鹿児島市)

八坂神社(やさかじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にあるJR九州鹿児島駅の北東約500mの多賀山公園内に鎮座する神社である。 鹿児島五社」のうちの第二位の神社。

戦国時代に島津氏によって勧請されたと言われるが、史料が焼失したため詳しいことは不詳である。

もともとは稲荷川の上流にあったが享保9年(1724年)にそれまで山越えの古道を主街道としていたのを海側の磯街道に切り替えたため、八坂神社も移転された。天保年間には稲荷川の浚渫整備工事が進んだが、八坂神社の向かいに当たる土地に廃土が積まれたためその土地は「祇園之州」と呼ばれるようになった。嘉永6年(1856年)、島津斉彬の命により、この祇園之州に砲台が築かれ薩英戦争での主戦場の一つとなる。

このようにたびたび戦禍に遭い、現在残っている建物は戦後に復興された物である。

霧島神宮 (鹿児島県)

霧島神宮(きりしまじんぐう)は鹿児島県霧島市にある神社。旧社格・官幣大社。

欽明天皇の時代、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。

しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。

明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。

歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。

また、御神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。

石橋記念公園(鹿児島県)

石橋記念公園(いしばしきねんこうえん)は、鹿児島県鹿児島市浜町にある公園。江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川(こうつきがわ)にかけられた5つの石橋のうち3つを移設した公園とその博物館から成り立っている。

1993年(平成5年)8月6日、鹿児島県集中豪雨(8・6水害)による洪水のため、島津重豪の命で作られ現存していた玉江橋(たまえばし)、新上橋(しんかんばし)、西田橋(にしだばし)、高麗橋(こうらいばし)、武之橋(たけのはし)の「五石橋」と呼ばれる石橋群の内、「武之橋」と「新上橋」が流失し、他の三橋も甚大な被害を受けた。

この後、橋を洪水のない場所に移築するか、原状回復するかで大問題となったが、結局、残った三橋は別の場所に移築することとなり、2000年(平成12年)に石橋記念公園として開園した。橋の移築問題は交通・河川整備と史跡保護の兼ね合いの難しさを証明する出来事となった。