高千穂神社(宮崎県)

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社であるが、近代社格制度上は村社にとどまった。現在は神社本庁の別表神社となっている。

古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たが、明治4年(1871年)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895年)現社名に改称した。

天岩戸神社(宮崎県)

天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。旧社格は村社で、神社本庁の別表神社。

西本宮の旧称は「天磐戸神社」、東本宮は「氏社」であったが、明治4年(1871年)にそれぞれ「天岩戸神社」、「氏神社」と改称し、昭和45年に合併、現在のごとく天岩戸神社東西両本宮を称すようになった。

* 天安河原(あまのやすかわら) – 西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所であると伝えられている。河原の中央部にある仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる洞窟には天安河原宮があり、思兼神を主祭神として八百萬神が祀られている。
* 天の浮橋 – 天保8年(1837年)に西本宮を訪れた松浦武四郎の紀行文(『西海雑志』)に、拝殿から岩戸川を見下ろすと、橋のような物があり、これを「天の浮橋」と俗称すると記している。

ねねの道(京都府)

「ねねの道」は、北へ一直線の平坦な石畳の道。正しくは高台寺道といい、ねねの道と呼ぶのは、秀吉の正妻北政所「ねね」ゆかりの寺、高台寺と園徳院があることからこう呼ばれるようになった。

高台院(こうだいいん)

高台院(こうだい いん、天文11年〔1542年)〕?[1] – 寛永元年9月6日〔1624年10月17日〕)は、戦国時代(室町時代後期)から江戸時代初期の女性で、豊臣秀吉の正室である。杉原(木下)家定の妹。秀吉の養子となって後に小早川家を継いだ小早川秀秋(羽柴秀俊)は、兄・家定の子で彼女の甥にあたる。

高台寺(こうだいじ)(京都府)___ホームページ

高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。
霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。

高台寺からスタート

輪島市朝市(わじましあさいち)

昔々、物々交換を行ったことが今の市の起源とされています。輪島では神社の祭日ごとに物々交換の市が立ったと言われています。これが輪島の市の始まりとされていて一千年以上も前から続いています。こうした古い歴史のなかで育まれてきた輪島の朝市には、売る者と買う者との心の触れ合いが生まれてきました。売る者も女、買う者も女の朝市。町の一日は、朝市の「買うてくだぁー」の呼び声から始まります。
朝市の露店の場所は親から子へ、子から孫へと何代も引き継がれているのです。野菜などは周辺農家のおばちゃん、活きのいい魚貝・海草は漁師町の女衆が売りに出ます。輪島の女は働き者で「亭主の一人や二人養えない女は甲斐性なし」と自負しているのです。朝市で売られるものに「値札」はあまり付いていません。値段は交渉しだい、買い手も売り手もこれを楽しんでいるのです。輪島を訪れた都会の主婦は「朝市で買って、料理をすれば、どんなに楽しいだろう」、「活きのいい魚、艶のある野菜、気安く、気軽に買える輪島の朝市が何よりもうらやましい」と言います。
毎月10日、25日及び正月3ケ日は朝市はお休みです(10日、25日は地物市が開かれます)。

金沢21世紀美術館(石川県)

【参考】金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館(かなざわにじゅういちせいきびじゅつかん)は石川県金沢市広坂にある現代美術を収蔵した美術館。愛称まるびぃ(由来は「丸い美術館」)。
もと金沢大学附属中学校・小学校・幼稚園があった場所に、2004年10月9日に開館した。観光客の多く立ち寄る兼六園の真弓坂口の斜め向かいに当たり、金沢城を復元中の金沢城公園の入口からも近い。繁華街の香林坊や片町からも徒歩圏内にある、市の中心部に立地した都心型の美術館。周囲には石川近代文学館、石川県立美術館、石川県立歴史博物館などテーマの異なる芸術関連施設があり、文化ゾーンを形成している。

兼六園(けんろくえん)

金沢市の中心部に位置し、旧百間堀を道路とした百間堀通り(百万石通り)を橋で渡ったところの石川門から、金沢城を復元中の金沢城公園へと続いている。

加賀屋(かがや)

加賀屋(かがや)は、石川県七尾市に本社を置く旅館業を営む企業、ならびに温泉旅館の名称。屋号は、創業者の小田與吉郎が加賀国津幡(現:石川県河北郡津幡町)の出身であることに由来する。和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め、地上20階、約1,300名の収容人員を持つ全国最大級の旅館。

2008年1月、旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(全国の旅館業者により選定)の総合部門1位として認定・表彰されている。この「プロが選ぶ日本のホテル旅館100選」では、28年連続で加賀屋が1位となっている。また、姉妹旅館として「茶寮の宿 あえの風」(和倉温泉)を有するほか、東京・大阪などにレストランを展開している。

台湾ディベロッパーと合弁で2010年、台北市北投区の北投温泉に「加賀屋 北投」を開業予定。

石川県能登島ガラス美術館

ホームページ

当館は、毛綱毅曠(もづなきこう)氏(1941~2001)の設計によるガラス芸術専門の美術館です。世界各国の現代ガラス作家の造形作品を中心に、20世紀最後の巨匠とも呼ばれるダリとフランスのドーム社との共同制作による造形作品や、ピカソやジャン・コクトーなど20世紀の著名な芸術家たちの案をもとにヴェネチアのガラス工房で作られた造形作品、また中国清朝時代のガラス工芸品を収蔵展示しています。定期的に古今東西のガラス作品についての企画展や、ガラスを身近に楽しめるワークショップを開催しています。

〒926-0211
石川県七尾市能登島向田町125部10番地
TEL 0767-84-1175 FAX 0767-84-1129

あめの俵屋(あめの俵屋)

金沢で一番古いあめ屋。それは創業天保元年、連綿百七十余年の伝統を誇る俵屋でこざいます。俵屋のあめは、創業のころ初代次右衛門が、乳飲み子を抱えながらも母乳が出ず困り果てていた母親達の姿を見て、何とか母乳のかわりになる栄養価の高い食品はないかと考えた末に作り上げたのがはじめといわれております。俵屋のあめの原料は良質の米と大麦。砂糖がわたしたちの生活に入ってくる以前に、穀物の甘味を得た、先人の知恵。創業以来の技を今に伝える、職人の心。百万石の城下町金沢の歴史とともに生き続けてきた、この食文化をしっかりと守りたい。それが俵屋のあめづくりに込める想いなのです。